2007年05月20日
記憶の旅人
奥武島にある贔屓にしている食堂で、メシを食べていた。
豊見城の本屋で買った、写真家の特集が組まれた雑誌をめくる。
濃い色の海、冬の海の写真に目がとまった。
太平洋だろうか?勝浦もこんな海の色だったな・・・何処だろか?
写真家の名前を探した。
「枯木灘 鈴木 理策」
とあった。数枚のカットは、どれも幼少の頃の記憶に近く、懐かしさに包まれた。自分の勘は正しかったのだ。さらに驚いたのは、彼は新宮の出身だった。
新宮、新宮・・・自分の故郷。
興奮した気持ちのまま家に帰り、ネットでこの写真家について調べてみる。
するとこういうサイトがみつかった。
[人から故郷を尋ねられることがよく有る。
その時に新宮市と答えると、必ず驚きと羨望の言葉が返ってくる。
この地が特別な場所だという、その魅力の深さに興味を持ったのは上京してからだった。
写真家にとって生まれ故郷を撮影する事は至難の技で、長年見知っている風景は時に過剰な思い入れが邪魔し、写真を独りよがりのものにしたり、逆にその魅力を見すごしてしまうことがある。ほど良い距離が必要なのだ。
私の写真表現は一枚で全てを語ろうとはせず、複数の連なる写真で物語るもので、画面の中にシャッターを押した理由を見つけにくいかもしれない。
個々の写真で見るのではなく、全体で印象を受け止めて欲しいと思う。
今回、地元で初めて展示することで、同じ風景を見ていた人と記憶を分かつ事が出来るのはとてもうれしい。
鈴 木 理 策 ]
いつかオイラも故郷を撮りたい。
那覇のマンションでそう思いながら、日々を過ごしていた。
そして今、そのチャンスが巡ってきた。
豊見城の本屋で買った、写真家の特集が組まれた雑誌をめくる。
濃い色の海、冬の海の写真に目がとまった。
太平洋だろうか?勝浦もこんな海の色だったな・・・何処だろか?
写真家の名前を探した。
「枯木灘 鈴木 理策」
とあった。数枚のカットは、どれも幼少の頃の記憶に近く、懐かしさに包まれた。自分の勘は正しかったのだ。さらに驚いたのは、彼は新宮の出身だった。
新宮、新宮・・・自分の故郷。
興奮した気持ちのまま家に帰り、ネットでこの写真家について調べてみる。
するとこういうサイトがみつかった。
[人から故郷を尋ねられることがよく有る。
その時に新宮市と答えると、必ず驚きと羨望の言葉が返ってくる。
この地が特別な場所だという、その魅力の深さに興味を持ったのは上京してからだった。
写真家にとって生まれ故郷を撮影する事は至難の技で、長年見知っている風景は時に過剰な思い入れが邪魔し、写真を独りよがりのものにしたり、逆にその魅力を見すごしてしまうことがある。ほど良い距離が必要なのだ。
私の写真表現は一枚で全てを語ろうとはせず、複数の連なる写真で物語るもので、画面の中にシャッターを押した理由を見つけにくいかもしれない。
個々の写真で見るのではなく、全体で印象を受け止めて欲しいと思う。
今回、地元で初めて展示することで、同じ風景を見ていた人と記憶を分かつ事が出来るのはとてもうれしい。
鈴 木 理 策 ]
いつかオイラも故郷を撮りたい。
那覇のマンションでそう思いながら、日々を過ごしていた。
そして今、そのチャンスが巡ってきた。
Posted by sndicegame at 00:43│Comments(0)
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