2009年06月26日
中上健次について その3
オイラがサラリーマンになって5年が過ぎた頃、写真を撮っておまんまを食べていく事ができないか考えたことがある。休日出勤に残業、やってもやっても仕事は終わらない。ルーティンワークに飽き飽きしていた。
そんな時、某プロダクション会社の社長にお会いした。アジアで撮った写真を持っていくと、高く評価してくれた上、話を聞かせてくれ、とよく食事に誘われた。その会話のなかで、なんとか写真家をいうものにはなれないだろうか?と不躾な相談をした。某有名写真家の知り合いがいるので、頼めばなんとか末弟くらいにはねじこめるかもしれない、と言うのである。
しかし…社長は続けた。
「アナタは会社員でもそれなりに成功しているのだし、性格的に難しいと思う。」
なんとなく自分でも自覚していたことを指摘され、諦めともおぼえる溜息をついた。
「やっぱり、そう思いますか…」
その頃から写真集を収集するようになった。
荒木経惟
写真のプロになる、と言う事はこういうことなのだ。
オイラでは絶対撮りえない。
中上健次が出席した葬儀の写真がある。
「中上健次が都はるみの「好きになった人」を歌ってくれた。」
小林紀晴
このブログのベースとなっている。
「中上健次の命日である夏の夜、僕は彼が多くの時間を過ごした新宿の街を歩いた。歩きながら、あの本のことを思った。」
オイラもあの時ああしとけば良かったかな?と思うことが多々ある。あの頃の感情があるからこそ、こうやって細々とブログを続けているのだろう。
そんな時、某プロダクション会社の社長にお会いした。アジアで撮った写真を持っていくと、高く評価してくれた上、話を聞かせてくれ、とよく食事に誘われた。その会話のなかで、なんとか写真家をいうものにはなれないだろうか?と不躾な相談をした。某有名写真家の知り合いがいるので、頼めばなんとか末弟くらいにはねじこめるかもしれない、と言うのである。
しかし…社長は続けた。
「アナタは会社員でもそれなりに成功しているのだし、性格的に難しいと思う。」
なんとなく自分でも自覚していたことを指摘され、諦めともおぼえる溜息をついた。
「やっぱり、そう思いますか…」
その頃から写真集を収集するようになった。
荒木経惟
写真のプロになる、と言う事はこういうことなのだ。
オイラでは絶対撮りえない。
中上健次が出席した葬儀の写真がある。
「中上健次が都はるみの「好きになった人」を歌ってくれた。」
小林紀晴
このブログのベースとなっている。
「中上健次の命日である夏の夜、僕は彼が多くの時間を過ごした新宿の街を歩いた。歩きながら、あの本のことを思った。」
オイラもあの時ああしとけば良かったかな?と思うことが多々ある。あの頃の感情があるからこそ、こうやって細々とブログを続けているのだろう。
Posted by sndicegame at 23:42│Comments(0)
│新宮